この世の理想

─デューイのキーツ読解

 

 「今すべてが一変してはならぬという法は、ないではないか」。

ドストエフスキー『罪と罰』

  

1

 

 理想と現実の関係は、教育哲学において、主要かつ困難な主題の一つであるように思われる。理想が何であるのか、現実が何であるのか、理想と現実はどのように関連しているのか、理想と現実はいかにして結びつけられるのか、こうした一連の問いは、多くの教育哲学に見られ、八十七歳で再婚したというジョン・デューイ(一八五九─一九五二)の場合も例外ではない。デューイの作品を読むと、理想と現実に関する問題を強く意識し、独自の展望をつくりあげようと試みていたように見受けられる。その上、理想と現実のディレンマは、デューイの作品が生み出した現実にも及んでいる。デューイの教育哲学は現実をたんに追従しているだけだというリヴィジョニストらからの批判とデューイの教育哲学ほど現実改革に貢献したものはないという進歩主義派からの主張は、たんに対立しているだけでなく、複雑にからみあっており、その一つ一つを照らし合わせていくのすらも、並々ならぬ努力と労力が要求されよう。こうした状況は、その源となっているデューイの作品に表われる長いセンテンスを屈使した文法構造と難解な思想を読むだけでも一苦労だというのに、デューイの教育哲学読解の受容事態をなお解き難いものにしていると同時に、理想と現実のディレンマがデューイの教育哲学のモチーフそのものに関わっていることを例証している。

 デューイは、専門家の間ではともかくとしても、現在日本においてはメジャーに扱われている哲学者ではない。しかしながら、教育哲学における大きな成功とその地味な書き方がそうさせてしまったのだが、デューイは、その視野の広さや問題意識の高さなどから見ても、フッサールと同様に重要な思想家であり、専門家の間のスコラ的論難に眠らせておくべきではないように思われる。

 デューイは、彼唯一の芸術理論書『経験としての芸術(Art as Experience )』(一九三四)において、理想と現実の融合は理論的な次元では困難な課題であるとしても、現実には芸術において達成されていると指摘し、芸術はそのコミュニケーションのあり方ゆえに、「比類のない教育機関」であると述べている(1)。デューイは、ジョン・キーツ(一七九五─一八二一)の言葉を引用して、その芸術を創造する芸術家は、「太陽、月、星や地球そしてその中味をもっと偉大なるもの、すなわち霊妙なるもの、そう、創造主自らがつくったよりももっと偉大なものを形成するための素材として」見なしているかもしれないと言及している(2)。キーツは、ウィリアム・ワーズワース(一七七〇─八五〇)やS・T・コールリッジ(一七七二─一八三四)、バイロン卿(一七八八─八二四)、P・B・シェリー(一七九二─一八二二)らと並ぶイギリス・ロマン主義の代表的な詩人である。キーツは貸し馬屋の子としてロンドンに生を受け、外科医の助手を経て、文学に専念するようになったが、肺結核を病み、ローマで夭逝している。キーツはその当時それ程人気があったわけではなかったが、生きている間に四冊の書物を刊行し、その短い生涯にもかかわらず、かなりの数の詩や書簡を残している。デューイは、キーツの一八一八年のヘイドン宛て書簡から「霊妙なるもの(etherial things )」という言葉を引用し、その『経験としての芸術』の第二章のタイトルを「生物と『霊妙なるもの』(The Live Creature and "Etherial Things " )」と命名している。この「生物と『霊妙なるもの』」は次の三点が論じられている章である。1)「経験の中の高級で理想的なものをベイシックな生命の根源と結びつける企ては、非常にしばしばその本性の背信やその価値の否認として見なされているのはなぜであろうか」。2)「ファイン・アートの高い達成がありきたりの生活、すなわちわれわれがすべての生きとし生けるものと共有している生活と関係をもたらされたとき、そこに嫌悪があるのはなぜだろうか」。3)「生が低い欲望でのこととして、もしくはその最上でも卑俗な感覚の物事として考えられ、そして最もよいものから肉欲や無情な残酷さのレヴェルに貶められがちなのはなぜであろうか」。デューイはこの三つの問いを、「身体への軽蔑や感性への危惧、精神への肉体の対立などをもたらした諸条件」を解明しながら、道徳史との関連において考察している(3)。デューイはキーツの「霊妙なるもの」を道徳史を扱ったこの章の表題に借用した理由を、「多くの哲学者や何人かの批評家が考えているような意味や価値は、その精神的、永遠的、普遍的性格のために、そう、自然と精神のありきたりな二元論を例証することのために、感性に到達しがたいのだということを示そうとした」からとしている(4)。以上の点から、デューイのキーツ読解を分析することは、理想と現実というデューイの教育哲学的な問題に関する一つの重要な方策であるように思われる。本論では、従って、デューイのキーツ読解、すなわちジョンの、ジョンによる、ジョンのための読解が教育哲学における理想と現実のディレンマに対して、いかに答えているのかについて言及することにする。

 

 

 進化論以後の哲学思想は、それに対するあからさまな無視と無知を除けば、人間と他の生物の連続性とその断絶の問題を避けることはできない。かつて人間の特権的領域だった芸術にも、人間以外の生物の影が見え隠れするようになってきたのである。デューイも進化論からの大きな影響の下、『経験としての芸術』において、自説を展開し、全十三章中最初の二章を割いて、芸術と生物の関連をめぐって議論している。デューイによると、芸術と人間以外の生物との関連を意識的に考察していた代表的な芸術家は、皮肉にも、進化論以前のロマン主義のキーツである。デューイは、キーツが「芸術家の態度と生物の態度とを同一視していて、たんに詩の暗黙の趣向においてそうしているのではなく、言葉にその考えをはっきりと表現することを熟考においてそうしていると考えていた」、と述べている(5)

 生物と芸術の関連を進化論以前の十九世紀初頭のロマン主義者であるキーツが自覚的に考えていたことは、決して意外なことではない。と言うのは、ロマン主義こそ、精神史において、既存の秩序や支配的な考え方に異議を唱え、その激烈な転倒を企て、現実を超えた理想に憧れ、熱烈な革命への希求をもたらした運動だからである。バイロン卿はギリシア独立戦争に参加し、命をおとしている。フランス・ロマン派のシャトーブリアン(一七六八─一八四八)やラマルチーヌ(一七九〇─一八六九)は政治家として活躍した。ヴィクトル・ユーゴー(一八〇二─八五)は第二帝政時代において共和主義の象徴だった。さらに、ジャン=ジャック・ルソー(一七一二─七八)の思想にいたっては世界史の流れを確かに変えたのである。その革命への影響力から、ルソーはカール・マルクス(一八一八─八三)やフリードリッヒ・ニーチェ(一八四四─一九〇〇)と共に世界史を変えた思想の三頭政治家と称することができよう。ロマン主義は現にあるものをまやかしだと指摘し、「いまここ」ではない「いつかどこか」をアイロニカルな視点から理想として設定した。人類、戦争、宇宙、死、夢、恋愛、古代の世界、未開人、自然人、流浪の民、子供、狂人、病人、そして動物までもが、アイロニーによって、その理想の対象となったのである。この理想は、現実を揺るがすことを目的としていたため、必ずしも実体的なものではなく、比喩的性格−−特に陰喩的性格−−が強い。ロマン主義は比喩によってその理想と親和化し、既存の認識論的枠組みを転倒した。ロマン主義によって、芸術や文学は、プラトン的なミメーシス、すなわちイデアとイデアの形象からなるハイアラーキー世界から、ヘーゲル的な運動、すなわち終わりに向けて動きつつ、生成運動という未来に向けての目的論的時間帯に規定され、すべてのものがその連鎖の一部となる方法手段の世界を体現するものとしてとらえられることになったのである。従って、生物と芸術の関連を明らかにするというデューイの企てがロマン主義のキーツの読解を通じて行われたことは、むしろ、当然とわれわれは了解しなければなるまい(言うまでもなく、進化論とロマン主義の視点は異なっている。ロマン主義は空間的なアナロジーによって生物と人間を関連させているが、他方、進化論は時間的に人間と他の生物を関連させてとらえている。しかし、カントの「批判哲学」からヘーゲルの「歴史哲学」が出現してきたように、空間的なものと時間的なものは、転換において、関連している。つまり、ロマン主義は進化論の準備段階だったのである)。

 デューイは、キーツの人間と野生の生物との類似に触れている一八一九年弟のジョージ・キーツ夫妻宛ての手紙と、想像力や直観、感性への信頼を言及している一八一七年ベンジャミン・ペーリー宛ての書簡を引用した後、そこに見られるキーツの意見を二点に要約している。

 

 その一つは次のような彼の確信である。「論拠」は野生の生物の目標に向かう動きのそれのような起源を持っており、それらは自発的に、「本能的」になるかもしれないし、そして本能的になるとき、感覚的・無媒介的・詩的である。この確信の他の面は、論拠としての「論拠」は、すなわち想像力と感性を除いて、真理に達することはできないという信念である。「最も偉大な哲学者」でさえも、思考を結論に導くためには動物のような好悪を働かす。彼は、彼の想像的感情の赴くままに、取捨選択をする。高次の「理性」は完全な把握や自己充足的な保証を成し遂げることはできない。それは想像力を、そう、情緒的にみなぎっている感性における観念の具現化をよりどこにしなければならない(6)

 「論拠」という形式的で禁欲的なものが生物的なものの、そして「理性」という冷静で生真面目なものが想像力と感性の現れであるという大胆不敵な主張は、たんなる反合理主義や反主知主義にとどまらず、認識論的公式の転倒を含んでいる。「思考するとき」、デューイによると、「その過程の理論的公式は、しばしばあらゆる発展的統合的経験の完成位相に『結論』の類似を、効果的に隠すような見地でつくられている」が、「実際には、思考のある一つの経験において、結論が明らかになってのみ前提が顕在化するのである」(7)。対象指示に関するあらかじめ与えられた合意によって、最初「論拠」や「理性」と見なされていたものが、その生成過程をたどるとき、「野生の動物の目標に向かう動き」や想像力、感性の再現=表象と化してしまう。推測や予見の可能を語るはずのものである「論拠」や「理性」というものは、そのとき、宙ぶらりんの意味構造にその固有の合意によって与えられた意味や機能を持っているような外観を提示する比喩にすぎなくなる。「論拠」や「理性」は曖昧な修辞的なものから明確な対象指示的なものへと転換させる比喩作用そのものにほかならないのである。「論拠」や「理性」を人間的であり高尚な能力と見なすことは、結果だけをとりあげ、その修辞性が対象指示性へと移行する原動力を抑圧・隠蔽しているにすぎない。つまり、デューイは「論拠」や「理性」を信頼できないものとして退けているのではなく、「最も偉大な哲学者」でさえも、それらの生成過程を忘れて、「論拠」や「理性」だけを予見可能性を持つものとして特権化してしまうのは不実なのではないかと咎めているのである。

 「論拠」や「理性」という治外法権が崩れ始めたとき、それらによって承認されていた真理や美と見なされていたものすら揺るがされずにはいられないであろう。このような説明の後に、デューイがわれわれを真理と美の問題に導いていくことは想像するに難くない。

 デューイは、第二章の最後の部分で、キーツの代表的なオードの一つである『ギリシアの古壺によせて(Ode on a Grecian Urn)』(一八一九ー二〇)における、最も有名な一節「美は真なり、真は美−−汝らがこの世にて知るのはこれだけなり、知る必要なのもこれだけ("Beauty is truth, truth beauty," that is all/Ye know on earth, and all ye need to know. )」(最後の第五連の最終四九ー五〇行)を引用し、次のように解釈している。

 

 多くの論議は、キーツが書き、「真理」というタームにその意味を与えた特有の伝統を知らないことによって続けられているのである。その伝統において、真理は事物についての知的言明の正確さを決して意味しているのでもなければ、もしくはその意味としての真理は科学によって影響をまさに受けているのでもない。それは人が生きるための知恵、特に「善悪の知識」を表示している。キーツのこころにおいて、それは、たくさんある悪と破壊にもかかわらず、善を正当化し信頼するという問いと特別に結びつけられているのである。「哲学」はこの問いに合理的に答える企てである。哲学者でさえも想像的直観に頼ることなく、この問いを扱うことはできないというキーツの信念は、彼の「美」と「真」の同一視における独立したポジティヴな言明を受け入れたのである。それは、生が最高に強く主張することを努力するすべての領域において、キーツを不断に圧迫していた破壊と死という人間にとって困惑させる問題を解決する個々の真理のことである。人は推量や神秘、不確実の世界に生きている。「論拠」は人の役にたたないに違いない。それは、もちろん、神の啓示の必然性を固定させてきた人々によって説かれた教説であるが。キーツはこの理性の補助品や代用品を受け入れることはなかった。想像力の洞察は満足させたに違いない。「汝らがこの世にて知るのはこれだけなり、知る必要なのもこれだけ」。重要な言葉は「この世にて」である。それは、「事実と理由に達しようとするいらつき」が、われわれにその光をもたらす代わりに、混乱し歪んでいるシーンの真っただ中ということである。それはキーツが彼の最高度の慰めや最深の確信を見出だした最も強烈な美的知覚の諸瞬間にある。これが彼のオードの末尾で書き留められた事実である。究極的に二つの哲学しかない。その一つはその不確実性、神秘、疑念やなまはんかの知識そのすべてにおいて生と経験を受け入れることであり、経験をそれ自身の諸特質を深め強めるためにそれ自身へと、すなわち想像と芸術へと変換させることである。これがシェークスピアやキーツの哲学なのである(8)

 この「美は真なり、真は美」と言い表された「真」と「美」は、「真・善・美」というプラトン以来の古典的トリオとしての美や真ではない。このオードにおいて何が真であり何が美であるのかという厳密な概念定義はなされてはおらず、ロマン主義に特有な比喩化の企てと解釈できよう。しかも、キーツは真と美がア・プリオリに同じものとして存在しているのではなく、その同一を「知る」という認識論的な働きかけから見出す必要があると説いている。ポール・ド・マンは、『叙情詩における擬人観とトロープ』において、「認識論を表象=再現のミメーシスなトロープとだけではなく、一般的なレトリックとつなぐ身振りは、キーツの『美は真なり、真は美』から、ことによると真理の定義をトロポロジカルな置換として理解されていると言うよりも知られている、ニーチェの『それでは、真理とは何か? 陰喩、換喩、擬人観の可動的な一群』までの十九世紀の多くの哲学や詩のテクストをめぐって繰り返し現れている」と述べている(9)。つまり、ド・マンの主張から、デューイが述べている真理や理性、論拠をめぐる伝統とは、認識論への関心のうちに集中的に現われてきた認識論的領域とレトリック全般との親和化=非−親和化の企ての系譜であるように思われる。

 デューイはキーツのこの一節が「『真理』というタームにその意味を与えた特有の伝統」を知らずに続けられてきた議論は二つあると述べている。その二つは次のように言い換えられよう。第一には、数学・論理学に基づく真理観である。論理学において、ある言明は、矛盾律や排中律、同語反復といった形式的基礎づけが行なわれ、完結した公理体系を破綻させるようなことに抵触していないかどうかによって、真偽が問われるのである。つまり、論理学的な真理は形式的な手続きを経て諸条件を満たしているかどうかを確証されることなのであり、これは古典的論理学でもカントール以来の集合論に基づく数理論理学でも基本構造は変わらない。もう一つは、科学哲学的視点に基づく真理観である。科学的に真であるか否かの問題は同時代的な科学理論の参照だけに限られるものではない。カール・ポパーの指摘するように、批判や反駁、反証できるような要素を前もって用意されているときにのみ科学的であり、科学的真理とは仮説、すなわち将来有効な反証が出ない限りにおいてのみとりあえず認められる真理にすぎない。この過程は潜在的に無限連鎖的であり、最終的な永久(とこしえ)の真理なるものは出現しない。真理は固定されたものでなく、動的に変化していく諸可能性を制度的に所有した経験的な実験または観察といった手続きや前提との諸関係によって決定されることになる。この二つの真理観に共通しているのは、真理は議論や正当化によって規定されることである。従って、真理や知識についての主に論理学や科学に関わる理論の特徴的な問題点は、「個々の真理」そのものよりも、真理の諸条件の方が確かにわかっていると確信することができるのかということにある。

 だが、ここにアポリアが登場してくる。承認された確認法によって確認されるものとしての真理は、承認されないものの排除によって基礎づけられているのであって、真理を保証するものが合意であれ慣習であれ、この二つの真理観は内部志向的な内部と外部の区別の存在を設定しているのである。「事物についての知的言明の正確さ」や「反証可能性」は狂人や子供、予言者の言葉には欠けているだろう。キーツが「真」と「美」をまさに同一なものとして見たのは、この選択・排除の彼岸的地点からである。そこでは、専門家によって設定された真理から排除されたとしても、「にもかかわらず」人は生きていくことを意欲するだろうし、またそうしてよいのだという悲劇的認識が潜んでいる。デューイはキーツのこの同一視を「善悪の知識」と呼んでいる。この「善悪の知識」が意味しているのは、先の引用を要約すると、次のことである。それは、現実にどんなに「悪や破壊」がはびこっていたとしても、またそのことによって「不断に」現実の中で苦しまなければならないとしても、「にもかかわらず」、生が現実において肯定されるように、現実を「真」であると是認されるべきものと見なすことができるとき、現実は「美」としてとらえられるということにほかならない。つまり、キーツにおいては、真理が何であるのかという問いではなく、真理はいかにしてまた誰にとって知り得るのかという問いが設定されている。従って、デューイがキーツの「真」と「美」の同一視以上に「この世にて」を重要視するのは当然のことであろう。デューイによると、キーツの言う「この世にて」は理性や論拠によって何かを得ようとした明察が、まさにその瞬間、明らかになるどころか、「混乱し歪んでいるシーンの真っただ中」に落とされ、明瞭にされつつあった内部と外部の区別は無効になってしまうような世界ということである。「この世」は経験的内在主義にとっての避難所の如き安心できる場所ではない。内在主義は、世界を建築術的なドームとして解釈することによって、外部と内部の区別を登場させてしまう。また、このデューイの見方は、典型的なロマン主義の視点とも隔たりがあるように思われる。一般的なロマン主義の象徴的風景は、例えば、ワーズワースの『プレリュード』−−特に第一巻−−に見られる、空の下のこの世であり、水平の面の上に存在しているこの世であり、そしてこの世はその二つの間で安定感を失い、そのことは精神と自然の絶え間ない交流となっていくというものである(10)。デューイは、ロマン主義の意義を十分に踏まえつつも、一般的なロマン主義とこの点において訣別し、独自の展望を提示している。ロマン主義が「いまここ」ではない「いつかどこか」を理想とすることに頼るのに対して、すなわち最終的に「外部」に頼るのに対して、デューイはその視点を拒絶する。キーツは、デューイによれば、ロマン主義にあってこの外部のもたらす矛盾を意識していた詩人なのである。「この世」を肯定することは、その外部にア・プリオリな目的や意味、価値の存在を認めないということである。むしろ、外部的に設定されるものですらも、実は、要求によって内部的なものから引き出された純粋に内部的なものにすぎない。

 デューイは「外部」について次のように述べている。

 

 経験において、人間の諸関係、諸制度や伝統は物理的世界と同じく、われわれがその中でそしてそれによって生きている自然の一部である。この意味において自然は「外部」ではない。それはわれわれのうちにあり、われわれがそのうちにその一部としてあるのである。しかし、この自然に参与するさまざまな方法があるのであって、この方法は同じ個人のいろいろな諸経験だけではなく、集合的様相における文明に属する抱負、必要と達成の態度の特徴をなすものである。芸術作品は、それらか喚起する想像力や情緒を通じて、われわれがわれわれ自身によってよりも諸関係性や参与の他の形式に入るための手段である(11)

 この部分は『経験としての芸術』の中でも最も難解な箇所の一つである。自然が何であるのかということよりも、それに参与する方法にデューイの焦点があるこの説明は、内部と外部の二分法もしくはその境界に関する(カントール以来の)パラドックスへのデューイ流の解答であると了解できよう。この説明が、失敗であるか成功であるかまたは結論的であるかどうかを決定することは別にしても、説得力を持っているように思われるのは、デューイが「人間の諸関係、諸制度や伝統」に関する悪循環と言うべきものをわれわれに突きつけているからである。例えば、「結婚の誓いを」、『聖書』から、「引用して述べることによって結婚を行うことはできても、結婚という制度を制定することはできない」(ホール・ド・マン『ヘーゲルの崇高論』)。デューイの哲学は外部的視座を希求するカントの超越論やデリダのディコンストラクションと離れている。デューイの言う経験による自然は、壺の底がそのまま壺の表面になってしまうような表裏の区別のない曲面というクラインの壺としてイメージできよう。この参与を重視する記述は、デューイが「芸術の諸客体は、表現的であるから、ある一つの言語である。むしろ、多くの言語である」と述べていることから(12)、彼が『経験としての芸術』において何度か比喩として用いている言語を、われわれに思い起こさせる。われわれは、言語を考えることは言語によってなされているのである以上、言語の外部に立って言語をとらえることはできないが、言語の用方をたどることは不可能ではない。言語は「われわれのうちにあり、われわれがそのうちにその一部としてある」のであって、われわれの「外部」にあるのではなく、言語に個人的なレヴェルだけでなくその「集合的様相における文明」のレヴェルで「参与するさまざまな方法かある」。こうした意見はプラグマティズムの用語そのものによって強調される。プラグマティズムの哲学者たちは自分の議論を凡庸な言語で日常的な用語で展開し、カントやフッサールのように新たな語彙や特殊な用語をつくったり、またはハイデッガーのように文法形式を再構成・再定義したりすることによって、説明することはない。と同時に、プラグマティズムには言語それ自体をその探求の何らかの焦点とする方向性がある。つまり、プラグマティズムの哲学者たちは外部を設定することを拒否し、言語と経験についてのわれわれのイメージとの間の諸関係を解明しようとするのである。この『経験としての芸術』においても、つねに日常言語への回帰が促され、日常言語の使用法に主眼が置かれている。言っていることが何を意味しているのか、または文章構成が認識の可能性を開いたり閉じたりする様態を問う分析哲学がその系譜の延長線上にあることからも、確かであろう。非日常性の唯一の例外は「プラグマティズム」という名称だけである。これは、プラグマティズムか日常言語の使用という側面において、共同体と連続でありつつも不連続であることを意味している。芸術作品に関しても、その用語と同様のことが言える。芸術作品は想像力と情緒を喚起することによって、経験的自然というクラインの壺にわれわれを吸引する。芸術作品は諸関係や参与の他の形式に入りそれを体験する手段である。つまり、芸術とは「この世」を、内部志向的な内部と外部の設定を前提する素朴な理論的明確化をすることなしに、あるがままに体験する手段なのである。

 「シェークスピアやキーツの哲学」と言い表したことによって、デューイは経験とその再現を表象する美学とそれを拒否する天才の美学とを区別しているにすぎないように見えるが、真に意味するものはそれ程単純ではない。デューイはキーツの最も有名な一八一八年の弟ジョージおよびトーマス・キーツ宛ての書簡を引用している。それによると、キーツは、シェークスピアについて、ずば抜けた「ネガティヴな能力(Negative Capability )」の人と、すなわち「事実や理由を手にしようと努力することにいらだつことなく、不確実、神秘、懐疑の状態でいることが可能である」人と述べている。キーツはシェークスピアとこの点で、彼の同時代のコールリッジとを比較し、すなわちコールリッジは詩的洞察が曖昧さに囲まれているとき、コールリッジはそれを知的に正当化できないために、詩的洞察を最終的に手放してしまい、「なまはんかの知識(half-knowledge)」に満足できなかったと記している(13)。「ネガティヴな能力」の持ち主は保守的な予定調和を期待しているわけではないし、「ネガティヴな能力」は静観の態度を保持する能力、また客観性への意志を持つこと、すなわち客観的に見える状態を創出する能力ではない。けれども、「ネガティヴな能力」の持ち主は、神秘なるものが非−神秘を超える何ものかを潜在しているのだ、という怪しい主張を唱える素朴な神秘主義者ではない。彼らは既存の外部を内部に倒錯しているにすぎず、外部と内部という二分法そのものは生き残ってしまっている。「ネガティヴな能力」とは外部と内部の間を宙ぶらりんのままいられる能力、明瞭化のもたらす内部指向性や同一化への声を所持することなく、神秘は神秘として、また不確実は不確実として根本的な差異を差異としてあるがままに是認する能力である。それは肯定の哲学、すなわち、否定的側面ですらも肯定的側面として把え直し、まさにこうでしかありえなかった現実を差し引きなしでそのまま肯定することなのである。つまり、この「シェークスピアやキーツの哲学」はニーチェ的である。ニーチェは、「私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学」を、『権力への意志』の一〇四一において、次のように述べている。「この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲する−−あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまで−−、それは永遠の円環運動を欲する、−−すなわち、まったく同一の事物を、結合のまったく同一の論理と非論理を。哲学者の達しうる最高の状態、すなわち生存へとディオニュソス的に立ち向かうということ−−このことにあたえた私の定式が運命愛である」、と(14)

 デューイのこのような現実認識は理想に関する把握へと連なっていく。デューイの視点の中では、理想は現実の外部にア・プリオリな目標として存在することはもはやできない。理想も現実の外部にあるものでもなく、現実の内部に内包されているのである。現実が好ましいものとしてとらえられるようになったとき、ロマン主義的な理想には満足いかないとしても、その反動としての俗物的現実主義に立ち戻ることは避けられねばならない。過度の現実至上主義は、若いときにはねあがったものが年をとって落ち着いてしまうような、現実に対する働きかけを捨て、なすがままになってしまうことだからである。

 デューイは、芸術における現実と理想を、次のように説明している。

 

 想像力は善の主な道具である。それは、相手についてのある人の考えや処遇は、想像上に相手の立場に自分自身を置くことができるその人の力によっている、という多少の決まり文句である。しかし、想像力の第一義は直接的な個人的諸関係の範囲を遠く超えて広げていくことである。「理想」が因習に従って、または感情的な夢想の名称として使われている場合を除けば、すべての道徳観や人間的誠実さにおける想像の諸要因は想像的である。宗教と芸術の歴史的提携はこの共通の特質にその根源を持っている。それゆえ、芸術は道徳以上に道徳的である。と言うのも、道徳は現状の神聖化や習慣の反映、できあがった秩序の強化であり、またはそうなる傾向にあるものだからである。人類の道徳的預言者たちは、たとえ彼らが自由な韻文においてまたはたとえ話によって話しているにしても、いつも詩人であった。しかしながら、一様に、諸可能性についての彼らのヴィジョンは、すでに存在し、半−政治的な制度に硬化した事実の布告にすぐさまコンバートされてきたのである。思想や欲望を支配しなければならない理想の想像的表示は方針の規則として扱われてきた。芸術は証拠を凌ぐ目的や、硬化した慣習を超越した意味の感覚を生き生きとさせておく手段だったのである(15)

 ロマン主義においては、理想は現実の陰喩として、理想と現実は別個なものとして理解されていた。だが、ロマン主義は理想によって現実が、逆に、見出だされることを示したのである。デューイの「理想」はロマン主義的な「理想」が現実の中ではなかなか生き延びることができないと知りつつ、「にもかかわらず」それが生き延びられるような可能性を追い求める要素−−試練の側面−−を含んでいる。旧来理想と対立するものとして見なされていた現実とは、修辞性の欠けた、すなわち諸可能性の欠けた「現状」にすぎない。「現実」はあるがままであり、他方「現状」はなすがままである。デューイは「人間は、あらゆる事物が時折そして部分的にしか経験されない諸価値を完成し、維持することを共謀する環境の観念を正直に措いて、どのような理想を抱き得るのだろうか」(16)と言っている。デューイの理想は現実の提喩、すなわち現実という全体を諸可能性として構成する部分である。確かに、時代において理想は異なったものとして把握されていたが、その機能は必ずしも隔たっていたわけではない。実祭は、芸術作品のつくり手の意図に反して、そこに描き出された理想は現実に対するものとしては存立していなかった。デューイは「芸術家の意図」の伝達だけが芸術の機能ではなく、むしろそれを裏切って、芸術はそれ以上のことを表現するのであり、「芸術作品は、経験のコミュニティーを制限する深淵や壁の満ち溢れた世界に起こることができる、人間と人間の間の完全で妨げられることのないコミュニケーションの唯一の媒介である」と主張している(17)。それゆえ、現実なるものは、逆に、理想の換喩である。

 理想は、想像力と手を切ったとき、現状の強化にも強く機能することがある。それはあらゆる可能性が尽くされないままに肯定されてしまったときに起こる。想像力という道具を屈指して、あらゆる可能性を出し尽くさなければ、現実を肯定することはできない。それゆえ、芸術は想像力と不可分であり、従ってあらゆる可能性は芸術を通じて現れてくる。芸術の示す理想は現状を追認するだけの受動的なものではなく、能動的な力を生み出していくためにうちたてられる。しかし、現にある現実をよく知っていなければ、いかに想像力を用いたとしても、浮かんできたものは理想にはならず、空想にとどまってしまう。キーツの真と美の同一性を「知る」ということは、言うまでもなく、この意味における理想であり、「この世」の理想は、「善悪の知識」を知ることによって、すなわち現実を知ることによって達成されるのである。

 デューイは「芸術は比類のない教育機関」であるが、こうした芸術と教育や学習と結びつけるような主張は嫌悪されるだろうと述べている。このような反感は、デューイによると、「想像力を除外する文字通りの方法や、人間の欲望や情緒に触れることのないそれによって続けられている教育に対する事実上の非難である」(18)。つまり、教育学的な理想と現実の問題は、「証拠を凌ぐ目的や、硬化した慣習を超越した意味」を「生き生きとさせておく手段」である芸術をその教育的意義に関してもっと積極的に評価することによって、デューイにおいては調停されるのである。

 

 

 デューイのキーツ読解を考察することの教育学的意義は少なくない。理想と現実のディレンマの融合が芸術のレヴェルでは達成されているとしても、それがいかにして可能であるのかという問いは、逆説的であるが、理論的になされなければならない。デューイの困難はそこから始まっている。デューイはロマン主義のキーツの詩を解釈することによって、どうしたらよいのかというその作業の取っ掛かりを受け継いでいる。と言うのも、ロマン主義こそ理想というものに最も立ち向かった運動の一つだからである。ロマン主義は理想の目的を社会や人類、自然、歴史、宇宙といった「いまここ」ではない「いつかどこか」に置いていた。つまり、素朴なロマン主義の理想は現実否認と本来的なるものへの憧憬に基づいているのである。一方、理想が現実の否定としてとらえられるのではなく、デューイは理想の出発点を、「この世」に、すなわちこうでしかありえなかったものとして現実をまず認めることに置いている。デューイは素朴なロマン主義がぶつかり行きづまった現実のありようの是認を理想への入り口に転換しているが、この転換もロマン主義の作品の読解なくしてはありえなかった。

 デューイの理想認識からわれわれは理想と現実の調停の困難さを了解できる。と言うのは、デューイの説いたものがいままさに理想と現実のディレンマをめぐって論議されているからである。われわれが見るべきなのは、むしろデューイがその困難さにいかにして立ち向かったのかを知ることではなかろうか。理想と現実の隔たりは現実から生ずるのか、理想から生ずるのか、それとも理想と現実が先天的に持っていたことなのかという教育学的なアポリアを、たとえ解きえないとしても、「この世にて知るのはこれだけ、知る必要なのもこれだけ」のものとして認識していくことは決して無益なことではない。むしろ、「にもかかわらず」その問いを自らにひきつけていくことが、教育者や教育学者にとって、大切である。それこそがデューイの言う「善悪の知識」に基づいた「この世」の「理想」にほかならない。

〈了〉

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